奇跡の二時代とは...(2)
戦後昭和は、昭和31年の経済白書に、【もはや戦後ではない】という言葉があり、それは戦後の復興というより、新しい時代を築くということのようです。
戦後の日本経済を牽引してきたのは、
エンタメ業界では何といっても美空ひばりさん、東映、大映、松竹、東宝、新東宝、日活などの映画会社、コロムビア、キング、ビクター、テイチクなどレコード会社。
出版界は、既存のものを世に出すので精一杯だったかも。
何といっても荒れ果てた国土、復興するにもまずは衣食住が最優先ですから、本や雑誌はそのあとだったのでしょう。
当然、空襲で印刷機も破壊され、職人さんたちも戦場に送られたままで帰還がむずかしく、印刷業界は後回しだったかもしれません。
すこし遅れて、宅配便という画期的なサービスを創業した小倉昌男氏、
コンビニ業界はもう少しあとですね。
私がわかるのは、美空ひばりさんが活躍した時代。
東映時代劇の黄金期でした。
大映も松竹も社風や芸風は違えど、時代劇作品を数多く世に出し、銀幕スターさんたちもきら星の如くいました。
経済的な面から見れば、
まず俳優さんたちが着る衣装、武士であれ、お姫様であれ、衣擦れの音がわかる高価な反物で作られた美しい衣装の数々、映画に出演している全員の衣装を縫う縫子さんたちも多忙を極めたでしょう。
城の全景はどこかの城を借りてロケをすればいいのですが、城内の廊下も襖も数は多いし、襖絵もそれなりの豪華さを必要とします。
鬘、かんざし、櫛、扇、草履など小物類もおびただしい数を誰かが作っているわけです。
経済面で言えば、
もうこれだけで国外に頼らずともこの業界だけで完結してしまうわけです。
映画が娯楽の王様と言われた時代ですから、作れば観客を動員できます。
映画は2本立て、しかも週の半ばに新しい映画に変わります。
昭和30年代は
映画館への入場料は30円、入れ替えなしですから、一日中見ていられます。
1週間に4本の映画が上映されていました。
今思えば、戦後間もない時代で休みも日曜日だけ。
大人たちはよく働いたのに、それでも映画館へ行く時間を作って見に行ったんですね。
テレビの普及率もまだまだでしたからやっぱり映画はいちばんの楽しみだったのでしょう。
戦争で荒れ果てた山河を復興させるために、人々は死に物狂いで働いて、唯一の楽しみが映画だったのです。
私の住む町は
当時人口4万人ほどで映画館は二館ありました。
実演もあるのです。
実演ってお芝居のことです。
当時は女剣劇が人気だったらしく、〇〇一座と幟を立てて、映画館が舞台に変わり、女優が男をバッタバッタとなぎ倒していく剣劇を見せるのです。
まだまだ男尊女卑の気風が残っている戦後によくやっていたなぁと今は思います。
テレビが家庭の娯楽の王者となり、
映画館へ足を運ぶことが目に見えて減りましたが、
時代劇映画の灯が消えても、時代劇は舞台で人気の演目となります。
映画で活躍したスターたちは、舞台でお芝居しますから、それまで映画でしか見たことがないスターさんが
舞台で、ナマで見られるということで女性客が詰めかけ興行界が活気づきます。
劇場へお芝居を見に行くというのは、ハレの日ですから、
それなりのおしゃれは必須です。
そのために洋服もバッグも買い、普段はつけないネックレスやハイヒールも買うのです。
そして劇場内での飲食ももちろん楽しみのひとつ。
さらにその日の舞台に出演している役者さんたちの手拭いやプログラム、カレンダーや湯飲み茶わんなどのグッズを土産に買う楽しみもついてきます。
テレビや映画館とは別次元の楽しみです。
10数年ほど前ですが、
私の歌舞伎繋がりの友人は、新年の初春歌舞伎を大阪から東京へ見に行くために、着付けを習って晴れ着を着て新幹線で大阪から東京へ行きました。
この友人ひとりを考えてもかなりの経済効果をもたらしています。
舞台の芝居、一か月公演は、昼夜2回公演が普通でしたから、出演者が総勢50人としたら、衣装は300着余作るのだそうです。
舞台のセットも時代劇ですから特殊な大道具小道具さんが入ります。
エンタメ業界の中の映画や舞台公演だけでも経済は回りますし、
音楽の世界はヒット曲が出ればスター歌手が全国で歌謡ショー(今ならコンサート)ですね。スタッフやバンドのみなさんが一緒ですから、鉄道関係、宿泊、飲食でこれまた経済活性化でみんなが潤う時代でした。
他の業界も同様で、
男性たちが飛びついたのは、ホンダのスーパーカブ、
主婦は電化製品の洗濯機や冷蔵庫、炊飯器やテレビなど。
若者世代は、舟木一夫さんという歌手さんが世に出て以来、レコードがほしい、蓄音機がほしい、テープレコーダーがほしいと消費熱は高まるばかりでした。
雑誌も、二大娯楽月刊誌の (平凡) (明星)と
映画情報に特化した (近代映画) (映画ファン)と
どれもこれも好きなスターのグラビアや記事、誰かとの対談などを見たくて読みたくて取り合っこするほど。
週刊誌も登場しました。
乗用車はまだ高嶺の花ですが、
自営業の人たちには小型のオート三輪が大人気でした。
酒屋さんなど重い商品を扱うお店や大工さんたちが道具を積んで遠くの現場へ行くのに大歓迎されたようです。
日本国内だけで生産と消費、需要と供給が見事に一致した時代は、
のちに一億総中流と言われるほどみんなが豊かになっていきました。
自分が働いている会社の製品が、テレビや自動車の部品のひとつかもしれない、それで右肩上がりの給料がもらえ、欲しかった自動車や電化製品を買いますから、売れればまた作る、作れば売れていくの繰り返しで
会社では、定年まで年功序列の出世が約束され、
主婦はデパートへ買い物に行くという憧れだったことが普通にできるようになりました。
旅行も会社の慰安旅行でタダで連れて行ってもらえますから、ご近所へのおみやげをどっさり買って帰ります。
バス会社も観光地も潤います。
これが奇跡の二時代の後半の時代です。
プラザ合意で固定の為替レートが撤廃され、金融ビッグバンという政策もあり、
日本は世界を相手にグローバル化の波に呑まれていくことになります。
もう二度と、奇跡の時代が訪れることはないでしょう。